全日本蘭協会40年の歩み
Following the History of Orchid Activities through 39 volumes of the Orchid Journal

全日本蘭協会は1958年(昭和33年)7月13日、霞ヶ関の霞山会館において創立総会を開催して発足しました。以後毎月例会が開催され、翌 '59年5月28日には、会報の創刊号が発行されました。当初はセミアニュアル(1年に2回刊行)を考えたらしく創刊号を第1巻第1号とし、同年12月28日に第1巻第2号が刊行されています。しかしその後は年刊になりました。今日までに発行間隔が多少開いたことが2〜3回あって、遅れの累積は2年近くになっていますが。ここ10年は完全に軌道に乗って発行されています。
会報のサイズをB5判としたことは当時として妥当な選択だったと思います。他誌にはデザイン優先の変形サイズにしてみたり、またB5とA4を往復したりした例がありますが、全蘭会報は終始一貫B5判を通しています。当初の写真がすべてモノクロームであったのは、そのころのカラー印刷のコストからみて致し方ありません。
カラー化についてみると、11号で表紙にプリントしたLaeliocattleya スノウドリフトのカラー写真を張ったのが最初です。次いで12号および13号では、花のカラープリントを1枚の台紙に貼ったものを挿入することを試みました。本格的なカラー印刷がとり入れられたのは17号からです。17号は表紙の表裏、裏表紙をカラー印刷で飾り、裏表紙の裏も初のカラー広告に当てました。18号〜20号の3号は表紙と裏表紙だけがカラーでしたが、21号からは、カラー化が軌道に乗り、内部にもカラーページが設けられ、またそのページ数も漸増して25号以降は20ページにも達しました。
カラーページは、そのほとんどが入賞花の記録・紹介に当てられていますが、32号では4ページ、33号〜35号までの3冊は、各8ページ本文記事の説明用のカラー写真が加えられ、今日の他に類を見ない充実した会報の姿になりました。
全ページ数については、15号までは40頁以内で推移しましたが以後は増加の途をたどり、最近の10年は200ページ前後になっています。広告ページも当初の1ページから30ページを超えるまでになり、最近は20ページ前後で推移しています。
以上述べたようなページ数、カラー化、広告ページの推移などに、編集責任者や印刷所、また表紙の写真等を加えて別表をまとめました。ORCHIDSの成長、変化が一覧できると思いますのでご覧いただきたいと思います。
ORCHIDSは創刊以来、11号を除いてすべて全ページにアート紙を使用してきました。しかしページ数が多くなると重量が問題になります。また以前はアート紙でないと写真印刷の上がりが十分でありませんでしたが、近年はカラーは別としてモノクロ写真ではその差がちいさくなっています。コスト面にも差があります。それらの事情から36号以降オールアート紙から、カラーページのみアート紙とすることにしました。ほぼページ数が同じでオールアート紙の32号とカラーページ以外アート紙を使用しない39号の重量を計り比べますと、32号が540グラムであるのに対して、39号は410グラムと130グラムの差があります。私は計ってみて、その大きな差に驚きました。1冊の差は知れたものですが、何十、何百冊と扱う立場にとってはこれは無視できません。
表紙のデザインについても幾度かの変遷がありました。最初の5冊は写真をバックに白抜きのORCHIDSですが、6号からは白地に黒文字となり21号まで続きました。その間11号ではカラー写真を貼る試みがあり、17号からカラー印刷になっています。22、23号の中間型を経て、24号からは表裏全面一色の地に額入りの写真となって、各号色を変えながら36号まで続きました。37号からは用紙の変更とともに大きな変化を遂げ、ORCHIDSのロゴも変わり、背文字がはいって印象を一新しました。会報のサイズが途中から変わるのには問題がありますが、意匠の変化はたまには面白いと言えるかもしれません。