春蘭柄物銘鑑
桃山錦 [Momoyamanishiki] モモヤマニシキ
桃山錦 [伝説]
昭和48年2月、茨城県那珂郡大宮町三美の農業、川澄弘一氏が採取した。
川澄氏が蘭の山掘りを始めたのは20歳代の時で、その頃近くの山を歩いては縞や覆輪、素心を掘り出していた。
その後、川澄氏は農業を辞め勤めに出るなどして、ブランクが有ったが、日曜日の天気の良い日は、山を歩いていた。
川澄氏が60歳代になった日曜日のその日、
バイクを走らせ栃木県境の山を目指した。
二又の山道にさしかかり、右は舗装、左は砂利道で、右に行こうとしたが、左の砂利道にバイクの轍が入ってしまったそうです。
不思議な導きが幸運を開く事になったのです。
南西に面した松山にさしかかり、入念に探索したが、何も無いので諦めて帰ろうとしたところ、
山林内の古い炭がまの跡地に幽かな縞らしき物が見えた。拡大鏡で見るとに散り斑様の春蘭実生で、縞らしくは見えるが、たいした縞には見えなかった。
周りを見ると同じようなランが沢山群生していた。
その時はたいした感激もなく、40株位掘り上げ、小物は残して引き上げた。
ミカン箱に仮植えしておき、茨城県久慈郡大子町の藤田一孝氏に連絡した。
藤田氏も一本1000円で2本、3本立ちを2000円で買って帰った。
その年の春、川澄氏宅の蕾を持っていた一株に「大虹」の様な縞花が咲いた。
この花を見た多くの人が買い出そうとしたため、一挙に売値が跳ね上がり一株50万円でも売らない・・・・
との話になってしまった。
結局、残り全部を含めて当時の1000万円以下では手放せない・・・という話になってしまった。
茨城県稲敷郡牛久町の福田敬助氏が川澄氏宅に買い出しに行き、八株を10万円で買い出した。
この時、茨城県筑波の飯島忠氏も何本か買い出した。
福田氏は、その秋、蕾を上げた一番大きな株を千葉県のほうに90万円で売却した。
翌年49年2月、藤田一孝氏と埼玉県川越市の中村斉氏、二人でその時川澄氏の手元にあった物を全部買い出した。
中村氏は神奈川県藤沢市の榎本敏一氏と共同購入の話が出来ていた。
その頃、大子町の菊池氏が一本咲き掛けて居るのを、400万円でとの話もあり、
川澄氏は全部で1000万円を譲らず、交渉は翌朝2時頃迄懸かったらしい。
結局、川澄氏は何本かは他にも出している弱みも有り、全部で600万円で話が纏った。
その内の30本を榎本氏が引受け、後に、「虹姫」。「聖紅錦」と銘名登録された。
川澄氏はその後も又何十本も山から持出して来ては中村氏に売ったらしい。
結局、何回かに分けて出した株は全部で100株は下らない「桃山錦」が世に出回った事になる。
又、東京都中野区の吉田一司氏は、中村氏から6株を130万円で買受け、後に「xー1号」〜「xー8号」と銘々した。
「x−2」。「x−3」。「x−5(錦嶺)」
昭和52年、藤田氏、中村氏共同で「桃山錦」と銘名、登録した。
「桃山錦」は同一株でも年により又作上がりによって、咲き上がりに違いが出る。
水仙弁に咲くかと思えば、翌年はより凄い梅弁にも咲く。
色合いや縞の出具合も大きく違う。
一年だけの花には惑わされない事が大切です。
桃山錦グループの共通形質。
1、唇弁に日が立つにつれ、淡いベージュ色が乗ってくる。
2、唇弁の幅がタップリしている。
3、必ず赤縞花が咲く。
4、春の新子より、秋の押子は葉の縞が派手に出る。
5、繁殖が良い。
6、バルブの連接点が非常に細く取れやすい。
7、作り込むと大型になり易い。

(虹姫)[nijihime]ニジヒメ |
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(聖紅錦)[seikonishiki]セイコウニシキ |
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(x-2) |
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(x-3) |
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(x-5) |
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